(初出 約1300字)
十聖学園管理人 パタヴォナ校長に捧げます。
「な、お前も行こうぜ」
高校に入ってから初めてのテスト期間、その最終日。
予約していたアイドルのCDを買いに行くのだという級友に誘われ、中島は久しぶりにCDショップへと足を運んでいた。
テストが終わった解放感でかなり機嫌のいい高井は、教室を出て電車に乗り、ショップに着くまでの道すがら、ずっとどれだけこの女性アイドルが好きなのかを熱弁しており、アイドル全般にまったく関心のない中島を少々うんざりさせていた。
中島とて流行りの音楽をまったく聞かないわけではなかったが、彼の好奇心の対象は幼いころから一貫してパソコンで、思春期を迎えてもそれはあまり変わらなかった。高井の語っているのが誰なのか、中島には名前も顔もよくわからない。もしかしたら毎月買っている雑誌の表紙やグラビアに出ていたことがあるのかもしれないが、個別認識などほとんどしていなかった。
それでも途中で帰ることもなくショップまでついて行ったのは(中島は気が変われば相手に気を遣うことなくさっさと帰るタイプだった)、特にテスト勉強などしなかった彼でもなんとなく学校全体を覆う解放感にあてられていたのかもしれなかった。
店に着くと高井はまっすぐにカウンターの方へ向かって行く。入口付近で立ち止まっていた中島は、なんとなく左右の棚を見回した。
家の書棚の一角に並んでいるCDは――多分父のものだろう――洋楽が多いようで、ほとんど名前も顔も分からない日本人のアーティストのものよりかは、英語やアルファベットのパッケージの方に自然と目が行った。
家で見たものと同じつづりを見つけ手に取ってみると、どうやらそれはジャズの有名な歌手であるらしかった。
しばらくそんなふうに見たことのある名前を探してはCDを手に取ってみたり、店員の書いたポップやアーティストのプロフィールなどを読んだりしていた中島だったが、高井はまだかと首を巡らせた時、ふと見えたものに奇妙な感覚を覚えた。
同じCDが何枚も平置きにされたその棚の許へ、つかつかと近寄るとそれを手に取る。
灰色の雲が立ち込める空。
竜巻が黒く地表から巻き上がり、空へ伸びたその渦が暗い雲を割り、
まばゆい光の中、ペガサスが駆け降りて来る…。
『それ』は、そんな絵だった。
地表の遠くには森、手前には煤けた感じの納屋のような建物が描かれていて、どこか異国の田園風景のようにも見える。
だが、中島が目を奪われたのは描かれた個々のディテールではなく、その空の色彩だった。
水の滴るような、湿った重い灰色の雲。
その切れ目、雲を淡い黄色や桃色に照らす、明るくやわらかな、まばゆい光。
――この空…この色…どこかで……。
知っているはずだと強く思うのに、何も思い出せない。
思い出そうとするほど、知らないものだという思いの方がはっきりとしてくるのに、それでも『知っている』という強い矛盾した感覚が一向に消えなかった。
「お、何、そういうの聞くの」
ジャケットのイラストをじっと見つめている中島の背後から、高井が覗き込むようにして声をかけた。
パッケージを無意識に握り締め、真剣にCDに見入っていたせいで会計を済ませた高井が近づいて来るのにまったく気づいていなかった中島は、その声にひどく驚き、持っていた鞄を積まれているCDの山にぶつけ、崩してしまった。
悪い悪いと平謝りしながら床に落ちたCDを拾い戻し、そつなく店員にも笑顔で頭を下げながら、高井は「なんかお前そういうの聞きそうだな」などと言ってくる。
「いや、全然…」
答えながら握りしめていたそれを棚に戻した中島だったが、置いたそのCDから何故か指も目も離すことができなかった。
知っているはずなのに記憶のどこにもないというもどかしい感覚に加え、湧き上がってくる焦燥感や後悔に似た気持ちで心がざわざわと落ち着かない。
予約の特典であろう丸めたポスターの入った袋を手に、すでに高井は出口に向かって歩き始めている。
「…ちょっと待って!」
中島はそのCDを掴みなおすと、レジへと小走りで向かった。
それはDeep Purpleの『Stormbringer』。
結局胸をざわめかせる感覚の正体はその後も知れなかったのだが、これまで聞かなかったタイプの音楽に、中島は魅了された。
彼の部屋の書棚にロックのCDが増え始めたのは、それから間もなくのことだった。
タグ:中島朱実, 高井健一, Stormbringer投稿者:皆楠じゃり
皆楠じゃり
『それ』はこれです。
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