【再録】愉楽の果て

(初出:2016年8月13日「女神転生保存会」発行 DDSアンソロ『転生カレイドスコープ』
 加筆修正:2018年7月
 約10400字)







「ロキ、奴らの魂の味はどうだ」
「……悪くない」

 音声入力装置を使って問えば、スピーカーを通して妙に人間くさい答えが返ってきた。
 中島の実行した悪魔召喚プログラムにより、CAI(※)ルームのホストコンピュータに降臨した悪魔ロキ。モニタで入力を介して行うやりとりは英語だったが、声での対話では日本語を使ってきたのは意外だった。それは文法ほど会話が得意でない中島にとっては非常にありがたいことだった。
 あんな奴らの魂が旨いものかとは思ったが、不純なものがたくさん詰まっているほうが悪魔には美味なのかもしれない。そう思い至り、中島は薄い唇を歪めた。 

 狂乱の時は、終わってしまえばあっけなかった。
 先ほどまでそこらに転がっていた、近藤弘之と高見沢京子、そして飯田教諭であった三つの死体。ロキによって操られたクラスメイトたちが、それらを粛々とどこかへ運び去って行ったところだった。CAIルームに残った数人は、中島の命令によって床に落ちたモニタや飛び散った血やら汚物やらを片付けている。
 ディスクドライブが回転する音と共に、スピーカーがノイズ音を立てた。粗いドットのモニタに文字列が流れ、白いカーソルが点滅する。

「なんだ、ロキ」
「女が欲しい」

 聞こえてきた俗っぽい望みに、中島は一瞬あっけにとられた。

「今一人いただろう。魂だって三人分やったろ、それじゃ足りないのか? そうそうお前のために人なんて殺せないぞ」

 三人の命を奪ったばかりのこの部屋で、中島は他人事のように答えた。立ちこめる生臭さに暗幕まで全開にした窓から差し込む午後の光は、死の悦楽の名残で紅潮した中島の頬を照らしている。整った造形を持ちながら精彩のない無表情が常だった彼は、今やその全身から奇妙な存在感を放ち始めていた。

「あれはお前の望みで殺してやったのだから、そもそも私の物ではない。魂は報酬として貰い受けたが、死んだ身体では交われぬ」
「……なるほど、殺しはしないんだな? だがお前、どうやって……」

 コンピュータのデータ上に存在する悪魔と、現実の女の交わり。
 普通に考えれば不可能だったが、今の中島はロキがコンピュータから現実に干渉し、クラスメイトらに集団催眠を施したことを目の当たりにしている。何らかの手段で情報を共有交換できれば、あるいは。
 少し前に雑誌で見た脳波モデム、あれが使えるかもしれない。性的な刺激も反応も、要は脳に走る電気信号だ。
 そう閃いた瞬間にはもう、中島の頭の中ではどうプログラムを組むかのシミュレーションが始まっていた。

「お前に逆らう者を排除するための対価だ」

 考え込み、黙ってしまった彼に苛立ったように、ディスクの低い唸りと共に合成音が告げる。

「ああ、そうだな、試してみないと分からないが……おそらく可能だ。近いうちにテストしてみよう。それまでは催眠を解くなよ、テストできなくなる」
「力が欲しいなら、成功させるがいい」

 磁気テープが細かく回転し、嘲笑の気配を漂わせた。

「今後もアッシャー界に関わりたいのなら、お前こそぼくには従っておくんだな。……今日のところはここまでだ」

 こちらの方が上なのだと悪魔を牽制しながら終了コマンドを打って顔を上げれば、床に這いつくばって血痕の始末をしていた女生徒の白い脚が視界で揺れた。加納深雪だ。

「深雪」

 緩慢な動作で振り返った加納は、口周りやブラウスの胸元に処刑した奴らの返り血をつけたまま、虚ろな目で微笑んだ。他のクラスメイトたちは一様に無表情だったが、加納にはもともと彼女が日常的に中島に見せていた媚態の名残があった。
 気のあるそぶりでうっとおしく話しかけられていたのと、クラスの男子生徒の間で人気らしく、よく名前を聞いていたというのが今回たまたま中島が加納を使った理由だったのだが、彼女は実にいい仕事をしてくれた。特に高見沢の殺し方、あれは最高だった。
 好みでもないのに無理矢理キスをしようと迫ってきたことといい、近藤を焚きつけてこちらを暴行させてきたことといい、高見沢に対して中島が抱く恨みはともすれば実行犯である近藤へ対するものよりも深かった。しかし、加納が高見沢をいたぶり辱めて息の根を止める一部始終を目の当たりにして、鬱屈はかつてない興奮に洗い流されきれいさっぱりと消えてなくなっている。
 これまで自分から加納に話しかけることなどなかった中島だったが、高揚した心は彼に支配者の気まぐれな余裕を与えていた。

「お前、血。そのまま帰るなよ」

 上着の血痕は濃い色に隠れあまり見えないが、ブラウスのそれはやはり目立つ。通行人や親に見咎められると厄介だ。ロキの催眠が及ぶ範囲は未知数だったが、さすがにこのコンピュータ学習室に来たことのない者には無効だと考えるのが自然だろう。
 そう思って声をかければ、ぺたりと床に座り込んでいた加納は傾げた首で血にまみれた制服を見下ろしていたが、やがて無言のままブレザーを脱ぐと首元のリボンを解き始めた。
 予想外の行動に目をしばたたかせる中島の前で、加納はブレザーもブラウスも床に脱ぎ落とし、その白い肌と下着を露わにした。両腕は用が済んだとばかりにだらりと左右に垂らされている。

「ふぅん……」

――催眠下だと恥ずかしいとかないのかね……。

 狂熱を覚えた身体は収まりきっておらず、すぐに昴ぶりを取り戻した。これまでの加納に対する中島の感情は面倒という以外になかったが、今ではよく躾られた犬を憎からず思うのと同程度には変化していた。

――こういうことなら話が早い。催眠状態のテストも兼ねて、ありがたく使わせてもらうまでだ。

「……来いよ」

 半裸でゆっくりと近づいてくる加納を、中島は観察者のまなざしでじっと見ていた。
 そうして十七歳の幼く高慢な精神は、悪魔との契約を忘れたのだった。 

         §          §         

 
 一週間も経てば、全学年全クラスが何かしらの授業でCAIルームを使う。ロキの集団催眠は、じわじわと十聖高校の教師や生徒らを飲み込んでいった。
 校内のほぼ全員が中島の従順な羊となるまで、さほどの時間はかからなかった。

 彼が悪魔召喚プログラムを作り始めたのは、ある本を読んだことがきっかけだった。
 仕事で使うのだと言ってはりきって購入した高価なコンピュータを、中島の父忠義は仕事の多忙さと操作の難解さから放置していた。数年間ほったらかされて部屋の隅で埃をかぶっていたはずのそれを、誰に教えられてもいないのに迷いなく操作している息子の姿を母ゆかりが見つけたのは、中島が六年生になろうかという時のことだった。
 小学校を卒業する頃にはかなり高度なプログラムを作れるようになっていた彼は、私立中学受験の合格祝いにも最新のコンピュータをフルセットで欲しがるような子であった。
 中学生になった中島は、やがてしばしばコンピュータの不調に見舞われるようになった。パーツの交換程度であれば自分でもできるようになってはいたが、まだ幼い彼の手には負えず、メーカーに修理に出さねばならないことも多かった。
 中島家は比較的裕福ではあったが、子供の趣味にしてはその修理代は決して安くはなく、忠義はある時知人の技術者に修理代行を依頼し、彼がコンピュータを買い替えた際には不要になったマシンを安く譲ってもらえるようにも話をつけた。旧型でも十分に高性能なそれを中島少年はとても喜び、ますますコンピュータに対する知識と技術を高めていったのだった。 

 彼がその古い革表紙の本を見つけたのは、高校二年の冬のこと。その技術者からの荷を解いていた時だった。
 趣味で占星術のホロスコープなども作っているというその技術者は、コンピュータに関係ないような本を一緒にくれることもよくあった。今回もそれなのかなと思いながら、中島は表紙をあらためた。

「ゴールデン…ドーン…新説……?」

 装飾された書体のタイトル。箔押しはほとんど取れかけていたが、凹凸はかろうじてそう読み取れた。
 いつもならコンピュータ関係のもの以外はすぐに本棚の隅に積んでしまう中島が、なぜその本に限ってそのままベッドで夜が更けるまで読み続けたのか、その時の彼自身に問うてもおそらく理由は分からなかっただろう。それこそ悪魔からの啓示だったのかもしれない。
 十九世紀末のイギリスで創設された魔術結社「黄金の夜明け団」の教義について書かれたその古びた本は、日本ではなじみの薄いカバラ神秘主義思想が根底にあるせいなのか翻訳にかなり難があり、お世辞にも読みやすいとは言えなかった。だが、中島は憑かれたように数日かけて読み通し、気になる部分を読み返しさえしたのだった。
 その本によって得た魔術理論と、物心ついた時には自然と理解していたコンピュータ理論の相似。それに気付いた日から、「コンピュータを使って悪魔を呼び出せるのではないか?」という考えが彼の頭から離れなくなった。
 そして中島は高校二年の三学期という受験生にとっての非常に大切な時期、期末テストも模試も捨てて制作に没頭し、数ヶ月後のこの春、ついに悪魔召喚プログラムを完成させたのだった。
 彼のコンピュータに対する天賦の才、そのすべてを注ぎ込んだプログラム「DEMON」。理論上は成功するはずだったが、悪魔を呼び出したとしていったい何をさせるのか。
 プログラムの作成そのものが目的であった中島は実行をためらっていたが、謂れなき暴行を働いてきた不良どもへの復讐という格好の目的が彼の背中を押した。
 結果として中島は、悪魔の力で邪魔者を処刑し、この世から消し去ったのだった。
 初めは何者にも邪魔されない平穏な学校生活を望んでいただけだったが、間接的にとはいえ三人を殺めたことで中島の精神の箍はその時に外れてしまったのだろう。加えて悪魔による集団催眠という超常的な手段も得てしまったのだ。私立高校という閉鎖された空間に滴る支配と享楽の蜜はひどく甘く、彼は日に日にこれまでの真面目でおとなしかった人格を脱ぎ捨てていった。
 中島は常時CAIルームに籠もりホストコンピュータを我が物顔で使う、気ままでやりたい放題の日々を送るようになった。


「……じまくん、中島君、次いいかな」

 CAIルームで机に突っ伏して眠る中島に、数学を担当している大久保という教師が遠慮がちに声をかけてきた。次の授業でここを使いたいらしい。
 周囲の人間たちを比較すると、催眠にも個人との相性があるのか、その効果には差があった。この男は寝ている中島を起こしてこの部屋から追い出そうとする程度には効きが浅いようだ。あるいは何かと中島に絡んで来ていたこの教師の元からの傾向が残ってしまっているのかもしれなかった。
 昨夜も自宅で遅くまでプログラムを組んでいたのだ。昼食後気持ち良くうとうとしていたのを邪魔されて舌打ちすれば、自分よりもがっちりした体格で上背もある大久保が怯えた表情になった。そんな顔をするくらいならここを使わず、中島にも声をかけなければいいのだが。
 一年次にこの男に数学を受け持たれた時には、当てられて板書するたびに解き方が正統ではないだの美しくないだのと文句を言われてうんざりしたものだった。学生時代にアメフトだかラグビーだかをやっていたらしい肉体を誇示して来るのもうっとおしかったし、こちらの身体にやたらと触れてきては弱いの細いのと言ってくるのも不快だった。中島はこういうがさつで尊大な人間が大嫌いなのだ。
 だが、催眠のおかげで今の彼はまあ従順だったし、いざとなればロキを使って始末すればいいのだと思うと、さほど不快感は覚えなくなっている。次の時間ここを使わせてやってもいいかと、寛大な気持ちさえ湧いてきていた。

「ねぇ、大久保先生せんせ

 こちらが声をかけただけで大きな体を縮めてびくつくのを見ていると、笑いがこみ上げてくる。

「もうちょっと寝心地のいい椅子買っといて。でさ、その椅子、手足拘束できるようにしておいてよ。あ、それからこれも」

 コンピュータ機器を扱う会社のカタログ。角を折ったページを開いて投げれば、彼は床に落ちたそれを拾い上げ、こくこくと卑屈な様子でうなずいている。

「来週には、要るから」

 急げよ、と言い置いてコンピュータ学習室を出ると、寝足りぬ中島は生あくびを一つ漏らし、そのまま保健室へと足を向けた。


 五月。
 街路樹に若葉が茂り日も長くなって来た頃、中島は第一回目の脳波モデム使用テストを行った。デジタルデータのロキへ現実の女を供物として捧げるというこの実験は、初めはやはり成功と言えるレベルには至らなかった。

――データ量に差がありすぎるのか、処理速度を合わせる部分に問題があるのか……上手く行かないな……。

 モニタ上へ出力された女生徒の脳波データとロキの活動を示すホストからのデータを見ながら、中島は考え込んでいた。
 双方を通信させるプログラムは仮説通りに動いているようではあったが、いざロキがホストコンピュータから女生徒の脳に干渉し始めると、交信がしばしば止まってしまうようなのだ。
 ホスト側の、ロキはいわば高度な人工知能のような物である。データ処理にはそれなりにメモリを食うが、そこは想定の範囲内であり、それなりの対策はしていた。ホストの処理速度はやや遅くなってはいるが、止まるほどの負荷ではないはずだった。
 双方のデータをつき合わせ波形をつぶさに見ていくと、ロキの干渉が始まると同時に女生徒からの出力最大値が次第に減少していく傾向があった。二度試したが同様で、比例していくべきタイミングで反比例していくのだ。
 ホストコンピュータに接続する前段階の脳波には、何の問題もなかった。彼女はこちらの質問にもさほど間を空けず的確に答えていたし、データの描く波形にも気になる点は見受けられなかった。ホストとの接続後もしばらくそれと同様の順調なデータが取れている。女生徒側の反応が急に滞るのは、ロキからの交信情報が増えるタイミングと一致していた。

――ここをロキが本格的に手を出し始めたタイミングだとして……どういうことだ……? 女のほうが刺激を快感として拾っていないということか……?

 ロキは感覚野に直接快の刺激を与えているはずだったが、それに対する反応らしきものがデータの上には無く、そういえば生贄の女の態度にも表れていなかった。

「ロキ、手応えはどうだ? お前の方は問題ないようだが……このまま続けるがいいか?」

 生贄の反応は必須条件ではないだろう。要はロキがイメージの世界でこの女を抱ければいいのだ。このままでもひとまず続行できるはずだがと思いながら訊ねれば、

「つまらぬ。調整しろ」

磁気テープを不満そうに軋ませ、ロキが横柄な応えを寄越してきた。悪魔は交歓をご所望のようで、反応がないのでは物足りないらしい。

「食うだけじゃだめなのか。贅沢な奴だな……。いったん切るぞ」

 北欧神話ではトリック・スターとして有名な神を名乗るこの悪魔は、中島に力を与えてくれるというだけではなく、彼の立てた現世と魔界の有り様に対する仮説を証明してくれる唯一の存在でもあった。そのロキを手中に置き続けるためには、奴の要求を適度に満たしつつコントロールしていかねばならない。
 その言葉に呆れながらも、中島は不具合を検証すべくホストとの音声接続を切った。モニタを見つめたままキャスター付きの椅子で滑るように移動すると、彼は皮椅子に拘束された女生徒の胸をブラウスの上から無遠慮にまさぐった。そのとたん彼女は身を堅く縮め、データは大きく形を乱した。手を離して会話を振れば、催眠のせいなのか女生徒は何事もなかったかのように答え、波形はすぐに安定したリズムを取り戻した。肩や腕、背中などにも触れてみたがデータは乱れず、脳内でそれは単なる接触として処理されているように見受けられた。
 生贄は、直接的な愛撫を拒絶しているようだった。ロキからの働きかけでデータが滞ることにも、女の肉体上に反応が表れないことにも筋が通る。警戒や緊張の強い、いわゆる「面倒くさい女」なのだろう。「生贄」というからにはそういうものかと処女を選んで使ったのだったが、それが裏目に出てしまったのかもしれなかった。

「催眠を強めにかけてみるか? 相手を変えた方が多分早いとは思うが……。処女でなくてもかまわないなら、良さそうなのがいる」
「かまわぬ」

 それならば、こういったことに慣れてきた加納を使える。催眠の効きがいいのか生来の性格なのか、積極的なあの女であればすぐにロキも食えるだろう。
 腕時計を見れば、九限の補修が終わる頃合いだ。今なら帰宅前に捕まえられる。善は急げだ。

「大久保、深雪を呼んで来い」

 いかつい教師が自分の言いなりになるのが愉しくて、中島はあれ以来大久保をよく使っていた。今日は廊下で儀式の見張りをさせていた彼に、マイクで指示を出す。走り行く足音を聞きながら、高井には生贄から脳波モデムを外すように命じた。

「お前、もういいよ」

 用済みとなった女生徒も、顎で示して教室へと帰らせた。結局適当に選んだそのクラスメイトの名を、中島は最後まで知らぬままだった。

――今日中に、なんとか調整できるといいが……。

 燭台を捧げ持つ村木に蝋燭を交換するように言いつけると、中島はCAIルームの床に描かれた魔方陣を修正し始めた。

 自室で目覚めれば、初夏の太陽は中天に近かった。
 高層マンションの十三階に位置する彼の部屋では、光は雲以外に遮られることはない。巻き上げられたブラインドのせいで寝不足の目に強い陽光が染みる。
 中島にはブラインドを上げ下げする習慣はなく、常に閉めっぱなしである。つまりは昨日、母親が空気の入れ替えだとか何とか理由を付けてこの部屋に入ったということだろう。再三勝手に入るなと言っているのに。
 帰宅した際には気付かなかったが、机の上では乱雑に広げていた資料がすべてまとめられ、角を揃えて積まれていた。

――余計なことを……。

 べたついた髪をかき回しつつ舌打ちをすると、中島は重い身体を引きずってシャワーを浴びに行った。
 多少すっきりしてリビングへと行けば、ゆかりが残したメモらしきものがテーブルに置かれている。いつものこととそれには目もくれず、中島は冷蔵庫に入っていた清涼飲料水を持ってまた自室へと戻った。
 平日だったが、今さら登校もないだろう。どのみち授業など聞いてはいないのだ。半裸のまま首にかけたタオルで髪から滴る水を拭いながら、中島はスピーカーから流れる曲に合わせ、椅子の上で行儀悪く立てた膝を揺らす。
 昨夜は日付も変わろうかという時間に帰宅した。急遽生贄を交換することとなって加納を呼んだために遅くなってしまったが、それだけの収穫はあった。
 感覚のすべてをロキになぶられ、加納はうるさいほどの声を上げて分かりやすく乱れてくれた。アナログとデジタル、二種の信号の変換も概ね中島の仮説通りに上手くいっており、ロキも満足しているようだった。
 ひとまず悪魔を手懐けておくための手段が確保できたのだ。そしてそれは調達しやすく減りもしない、代償として差し出すには理想的な「もの」だった。
 キーを叩きコマンドを打ち込むと、中島は鼻歌交じりでモニタを走る文字列を眺めた。


 生贄は、隔週程度に与えることにした。
 人間の女は久しぶりだというロキは――北欧神話を読んでみれば、かつてのロキはかなりの奔放ぶりだった――相手を変えたがった。ずっと加納を使えば楽だと思っていた中島だったが、まあそれくらいはいいだろうと譲歩をした。
 それが後の惨劇を呼ぶことになるとは知らぬまま、小原を見初めたのは六月に入ってから二度目の「儀式」の時だった。
 見張りに立てていた大久保を探しCAIルームへとやってきた彼女を、ちょっとしたいたずら心で教卓の方へと連れて来させたのだ。
 どうやら彼女も催眠効果の薄い方であるらしく、緊張した面持ちで近づいてくる小原には加納のような盲目的な様子こそなかったが、中島への畏怖は強く持っているように見えた。そしてそこにはある種の女が宿命のように持つ、匂い立つような媚びがまとわりついていた。

「こんばんは、小原先生」

 慇懃に微笑んで、中島は妙齢の女教師を歓迎した。
 中島の横ではモニタに表示された青い人影らしきグラフィックが明滅し、その対面では頭部にヘルメットのようなものを被せられた女生徒が皮椅子に拘束され、スカートの裾を乱しながら喘いでいる。頭頂部から伸びた数本のケーブルはモニタ横の端末へと伸びていたが、それは彼女が身悶えするたびに蛇のようにのたうっていた。
 常ならぬ状況に催眠下の小原もさすがに戸惑い逃げを打とうとするが、それを中島はすかさず肩を抱くようにして留め、モニタの方へと強引に引き寄せた。

「やっとテストが成功したんです。見ていってくださいよ」

 女性にしては高い身長、黒いエナメルのヒールのせいでさほど変わらぬ位置にある派手な顔立ち。中島は身を震わせる小原の容姿を遠慮のない視線で値踏みし、その耳元で囁いた。
 薄手のとろりとしたブラウスとタイトスカートにストッキングという女教師の装いは、肉感的な身体に倒錯の色を加えている。中島は触れた肩から腰の曲線を撫で下ろしながら、これで男を知らないことはないだろうと品定めをする。

――どうやら、使えそうだな……。

「次だ」

 事の最中であるはずのロキも声を上げてきた。どうやら小原は悪魔にとっても合格点のようだ。

「次は先生の番だそうですよ? どうぞお楽しみに」

 妖しいまでの笑顔で、中島は小原の頬に指を這わせた。

         §          §      


「やめろ……」

 ロキが姿を変えた、毒々しいピンク色の脈打つ原形質。小原を取り込み白鷺をも捕らえたそれに近づくこともできないまま、中島の言葉は空しく消えていく。
 いい生贄候補を見つけたと思っていた、あの時の自分を殴りたかった。
 小原はロキの子を身ごもっているのだと、インターネット回線を通して訊ねたISG(※)の人工知能は答えた。おそらく小原を捧げた儀式の後、ロキは自分の虜となった彼女を操り、中島の預かり知らぬところで悪魔召喚プログラムを実行させては何度も実体化していたのだろう。
 ロキに身も心も捧げた小原は今、愛しい悪魔が他の女に興味を持ったと見るや、嫉妬も露わに白鷺の喉を締め上げている。

「やめないか!」

 苦しげに歪められた彼女の口から真っ赤な血がほとばしった時、中島はたまらず叫んでいた。

 何かを話したそうに、こちらを見て困った顔をしていた。
 向こう見ずにも、単身で儀式に乗り込んできた。
 電話では、勝ち気な声で言い返してきた。

――白鷺弓子。

 会ったとも言えないほどの接点しかなかった。交わした言葉なんて、ごくわずかしかなかった。それなのに。

 彼女を生贄にすることを、とっさに拒んだのは何故なのか。
 苦手な電話までかけて、彼女を止めようとしたのは何故なのか。
 今、こんなにも、胸を引き裂かれそうなのは何故なのか。

――わからない、わからない、わからない!!

 焦燥と未知の感情に混乱する中島の目の前で白鷺はついに息絶え、耳をつんざく雄叫びを上げたロキは、その亡骸をもはや用無しとばかりに体内から放り捨てた。悪魔がその触手を教室中に張り巡らせているために彼女の許へ行くこともできず、中島は為す術もなく立ち尽くしていた。

――白鷺を殺したのはぼくだ……。

 動けないのはロキが邪魔をしているからだけではなかった。ほとんど知らぬ相手であるはずの白鷺の死が、異様なまでの喪失感を中島にもたらしていたのだ。
 胸の内を荒れ狂う後悔の嵐は、彼の心を震わせていたかすかな既視感を吹き飛ばすには十分であった。

 立ちすくむ中島の視界の端で、悪魔が再び動いた。周囲のクラスメイトたちに次々と触手を伸ばすと、彼らを引き寄せ始めたのだ。催眠下にある彼らは無表情のまま逆らいもせず、一人、また一人と沼のようなロキの体内へと沈められていく。
 首から下を完全に半透明のゼリー質に変えてしまったロキは、多くの獲物をいちどきに得た興奮に抑えきれぬ笑いで、その身をぶるぶると震わせていた。そしてその震えが止まったかと思うと原形質は大きく盛り上がり収縮し――貪食の、それが合図だった。
 教室のそこかしこで生徒たちが水風船のように圧し潰され、吹き出す血が、砕かれた骨や裂かれた肉片が、いたるところに撒き散らされた。

「ひっ……!」

 とっさに避けようとした足は言うことを聞かず、中島は鮮血に濡れたリノリウムで滑った。床へと倒れ込んだ掌がぐちゃりと湿った何かに触れる。それは布とゴムの塊と、短い密集した毛のように見えた。

――……そうだ、あいつのが、こんなふうに潰れて……。

 中島の目に映っているのは、柔道経験者に見られる特徴的な形の耳だった。それがよく見知った高井の頭部から引き剥がされたものだと認識した瞬間、中島は嘔吐した。

 こんなはずじゃなかった。こんなことになるなんて思わなかったのだ。
 言い訳ばかりが、脳裏に渦巻いていた。無様に床にへたり込んだ中島は、血と汚物、涙と涎にまみれたまま動けなかった。
 死の穢れに満ち満ちたこの魔の海で、彼もまたその波に飲み込まれつつあった。

――トクッ……トクン……。

 一度は確かに動きを止めたはずの白鷺の心臓が、再び鼓動を打ち始めていた。優しく、しかし凛とした女神の呼び声が、彼女を黄泉の淵から現世に引き戻したのだ。

 二人の長い物語が、今、始まろうとしていた。

 

 

              

 

 

 

 

 

【注】

※CAI…コンピュータ・エイディド・インストラクションの略。コンピュータを教育目的に使用するシステムの総称。小説の中では一台の大型コンピュータ(ホストコンピュータ)が数十台の端末機(パソコン)を抱え、生徒は端末機を通してホストと対話形式で学習するシステム。(原作一巻『女神転生』37ページより引用)

※ISG…インタナショナル・サタニスト・ガーデン。マサチューセッツ州アーカムに拠点を置く組織。主催はマサチューセッツ工科大学教授チャールズ・フィード。

 

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